「死にたい」
そう思ってしまうのは悪いこと。
周りはそう言います。
「生きたくても生きられない人が世の中にはたくさんいるんだよ。」
そういって責めてくるでしょう。
確かに言っていることはわかります。
生きたくても生きられないことが想像できないくらいにつらいことなのはわかります。
しかし、「死にたくても死ねない人」のつらさは無視なのでしょうか。
死にたいと思ってしまっているのに、死ねない事実は理解してもらえないのでしょうか。
人間は「死」を悪いことだと思い込みすぎているだけではないのか。
そう思いませんか。
哲学者のソクラテスは言いました。
「死ぬことは人間にとって一番いいことなのかもしれない」と。
生きている私たちは誰も「死」を経験したことがありません。
にもかかわらず、「死」を恐れたり、自ら命を絶つことを悪いことだと判断したりします。
「死」とは最もいいことなのかもしれないのに。
そう考えると「死にたい」と思うことはなぜダメなことなのか。
さっぱりわからなくなります。
私がこの記事で伝えたいのは決して「死んでいいよ」というわけではありません。
どうせ死ぬのだから「死」という楽しみは最後まで取っておき、あらゆる「楽しい」をそれまでに経験していきましょう。
そして、嫌なことからは逃げて、嫌なことが溜まりすぎた時には一度死んだものとして改めて明日から生きていきませんか。
ということです。
気楽に読み流すような感じで読んでいただけますと幸いです。
「死にたい」のは本当だけど、もし人生が最高に楽しいなら生きたい。
「死にたい」と思ってしまうのは、今がこれ以上にないくらいつらいから。
「死にたい」と思ってしまうのは、周りが小さいと思うようなことでも深刻に考えてしまうから。
「死にたい」と思ってしまうのは、何も変えられない、努力もできない自分を惨めに思ってしまうから。
「死にたい」と思ってしまうのは、周りも自分も大嫌いだから。
こんな人生ではなく、もっと前向きに生きられて、楽しくて、つらいことでも頑張れるような人間だったら「生きたい」。
「死にたい」と思ってしまうのは別に人という生き物の人生そのものを嫌っているわけではありません。
今までの自分の人生がこれからも変わらず続くのなら「死にたい」と思ってしまうのです。
もし、あなたも同じように「人生が最高に楽しいのなら生きたい」と思えるのであれば、この先も読み進めていただきたいです。
どうか「生きること」に対してあまり深く考えずに読んでください。
「死にたい」ならまず好きなことをやってみよう
「好きなこと」に対してあまり深く考える必要はありません。
- ゴロゴロする。
- 散歩する
- 好きな食べ物を食べる。
- 旅行に行く
この程度で大丈夫です。
今この瞬間にやりたいと思うことを思い浮かべてください。
いかがでしょうか。
思い浮かべましたでしょうか。
それがあなたの今の「生きる理由」です。
え?それだけ?
と思いますでしょうか。
答えはYes。
本当にそれだけです。
やりたいと思えることがまだ残っているのに死ぬなんてちょっと早いです。
存分にゴロゴロしてからでも遅くありません。
ゴロゴロした後にお腹空いたのならご飯を食べてからでも遅くありません。
ご飯を食べた後にお風呂に入りたくなったのならそのあとでも遅くありません。
人生なんて所詮この程度。
「のど乾いたな」と思ったから好きな飲み物を飲む。
「おいしいな」と小さな幸せを感じる。
所詮この程度です。
そんな小さな幸せを積み重ねているうちに歳をとっていくものだと私は思っています。
ですから、無理に「何かのため」に頑張る必要はありません。
理由もなく目的もなく頑張って苦しくなる必要はありません。
「死にたい」ならまずは死にたい原因なんて無視して好きなことだけをたくさん積み重ねてみましょう。
「死にたい」原因との向き合い方
「死にたい」そう思う原因は人それぞれです。
どんなに小さいと思われることでも全く関係ありません。
あなたがそれに対して大きな苦しみを抱えているのなら大きなことです。
- 会社がつらい
- 学校に行きたくない
- 人間関係
- 無能な自分
それぞれいろんな原因があります。
そんな原因とどう向き合っていくのか。
私は「努力する」なんて言葉は一切言いません。
世間一般的には「人としてダメ」と言われるようなことばかりかもしれません。
ただ、それで問題ないと思っています。
「死にたい」原因との向き合い方1:吹っ切れる
1つ目は吹っ切れるです。
「死にたい」原因となっていることに対して好き勝手やってみましょう。
会社や学校に行きたくないなら行かない。
上司が大嫌いなら思いっきり反論してみる。
嫌なことに対して耐えるのではなく、一度立ち向かってみる。
そうすれば、意外と変わることだってあります。
メンタリストのDaiGOさんは昔いじめられていたそうです。
しかし、あることがきっかけで友達にナタをぶん投げました。
当たらなかったものの、それからは「あいつヤバい」と周りの見る目が変わったそうです。
私も大嫌いな上司にいつも言われ放題で会社に行くのが嫌で嫌でしかたありませんでしたが、一度反論してみました。
そしたら案外論破できちゃったんです。
「どうせ変わらない」と思っていたことが、たった1歩踏み出すだけでガラッと180度変わることもあります。
DaiGOみたいにナタを投げるのはかなりリスキーですけどね。(笑)
あなたが吹っ切れたことで大きく変わるかもしれません。
もし吹っ切れてダメなら逃げればいいだけです。
「死にたい」原因との向き合い方2:逃げる
なぜかわかりませんが、人間は「逃げる」ことに対してあまり良い評価をしません。
生物が生きていくうえで非常に大切なスキルであるにもかかわらず。
「死にたい」という現状をどうしても変えられないのならその環境から逃げましょう。
転職や転校。
身近な人間関係が嫌なら引っ越し。
思いっきりしっぽ巻いてその環境から逃げましょう。
逃げて新しい環境で心機一転はじめればいいだけです。
逃げていいんです。
むしろ逃げたほうがいいんです。
嫌なことにずっと立ち向かっていられるほど人生は短くありませんし、人間は強くありません。
逃げるを意識した方がむしろ人は大胆になれますよ。
「死にたい」ほどつらいなら一度死んだことにする
「死にたい」と思ったならいっそのこと死んだことにしましょう。
どうせもう死んだんだから何してもいい。
そう思って生きてみましょう。
いろんな苦しみを抱えて耐え続けていた自分はもう死んだ。
死んだと思って好き勝手生きてみましょう。
何度失敗したっていいじゃないですか。
もう死んだと思っているのですから。
何度恥ずかしい思いをしてもいいじゃないですか。
もう死んだと思っているのですから。
何したっていいです。
そうやって生きてみて少しでも楽しいと思い始めたのならラッキー。
そうなったのときには改めて楽しい人生を送っていきましょう。
「死ぬ」という選択肢を取らずとも、「死ぬ」という選択肢を持っているだけで心は軽くなる。
私はどうかあなたには生きてもらいたいと思っています。
死にたいほどつらい経験をしたあなたには生きたいと思うほど楽しい経験をしてもらいたい。
だから「死ぬ」という選択肢なんて取ってもらいたくはありません。
ただ「死ぬ」という選択肢を持っているのは良いと思います。
本当につらいときには逃げ道がある。
そう心に収めておくだけで軽くなります。
大胆に生きていくことができます。
「死ぬ気でやれ」というのは「死ぬほどつらい思いをしながら頑張れ」ということではなく、「死んでも悔いがないよう大胆にやれ」ということではないかと思います。
人はいつだって死ねます。
どんなつらいことも一瞬で消し飛ばせる選択肢を自分は持っていると考えるだけで大胆に生きていけるのではないでしょうか。
逆にその選択肢を持っていることこそが、「死にたい」と思う原因を払拭してくれます。
まとめ:死にたい自分をどうか責めないで
私の書いたことは理解されないかもしれません。
「極論すぎる」という人もいるかもしれませんね。
ただ、それで私は問題ないと思っています。
賛同してくれる人もいれば、そうでない人もいる。
それだけのこと。
同じく、生きていくうえで「死にたい」と思ってしまう環境もあれば、「生きたい」と思える環境もある。
死にたいと思うほどつらい思いを抱えているあなたはもっと自由に生きていい。
「自分が悪い」「自分がダメなんだ」なんて思わずに生きて欲しい。
もし一人で抱えきれないならどうか教えてください。
この記事があなたの役に少しでも立てたのなら幸いです。