田舎から上京した普通の会社員ミナトが運営するブログ

【考えすぎてしまう人向け】お釈迦様の教え「第一の矢、第二の矢」の話

こんにちは、港です。

最近(というかうずっと)人生について考えては不安になって、落ち込んでを繰り返しています。

1つの不安からいろんな不安が浮き出てきて、その不安がさらに不安を生み出し無限に不安が湧いてくるループに陥ってしまうことありませんか。

きっと僕だけじゃないんじゃないかな~なんて思っています。

僕は基本ず~~~っと不安を抱いて生きているんですけども、この前同僚に「第一の矢、第二の矢」の話を教えてもらったので、みなさんに共有したいと思います。

あれこれ悩んでつらくなってしまう方にぜひ知ってもらいたいお話です。

「第一の矢、第二の矢」のお話

「第一の矢、第二の矢」は、心の痛みとそれに対する反応についてのお釈迦様の教えです。

まず、「第一の矢」は、人生で遭遇する最初の苦しみや痛みを指します。

例えば、失敗や嫌な出来事、悲しみなどです。

これは避けられない、自分ではどうすることもできないことです。

「第二の矢」は、それに対して僕たちが感じる反応を指します。

例えば怒りや不安、自己嫌悪などです。

これは自分が引き起こしているもので、第一の矢が突き刺さった後に、自分でさらに傷を深めている状態です。

第一の矢は避けられないけれど、第二の矢が刺さるかどうかは自分で選べるということを伝えています。

つまり、お釈迦様は人生の困難に対してどのように反応するかは、その後の自分自身の選択にかかっているということを伝えてくれています。

第三、第四の矢まで刺さってしまう今日この頃

お釈迦様の教えを聞いて自分を振り返ってみると、第二の矢が刺さってるどころじゃないな~と気が付きました。

失敗(第一の矢)

→落ち込む(第二の矢)

→この先また失敗するんじゃないか(第三の矢)

→全然うまくいかない(第四の矢)

→自分てなんてダメな人間なんだ…(第五の矢)

→周りの人はすごい人ばかりで自分は劣ってるな…(第六の矢)

→etc…

矢がぐっさぐさです。

第一の矢は仕方ないとして、それ以降の矢は自分で刺していたなんて考えもしませんでした。

わざわざ自分で自分を傷つけるようなことしなくていい。

しないほうがいい。

第一の矢が刺さったとき、わざわざ2本目、3本目を用意して自ら刺しに行く自分。

第一の矢で留めておきたいものです。

2本目以降の矢は考えなくていい、つらくなるだけだから。

不安の97%は実際には起こらないといいます。

つまり2本目以降の矢は自分が勝手に作り上げた空想の凶器になります。

わざわざ自分で作り出して、自分を傷つけるなんて客観的に見ておかしな話です。

第一の矢が刺さったとき、

「あ、自分はこれからきっと第二の矢、第三の矢を作り出そうとするだろうな。じゃあ考えるのやーめよ」

と思うようにしたいですね。

この話を知っても、きっといつか頭から離れて、またたくさんの矢を自分から刺しに行くんだろうな~

とは思いつつ、矢の本数を少しでも減らす習慣ができたらもう少し人生は楽になるのかな

とも思います。

これを読んでくださった皆さまの矢の本数を1本でも減らせたら嬉しいな。

皆様に幸せな毎日が訪れますように。

以上、港でした。